中国トルファン盆地のカレーズを見たい!

みなさん、こんにちは。暑い日が続きますね。
経営学部の松原 隆治です。


今回は、私の研究の一つを紹介させていただきます。


1998年に知多市教育委員会からの依頼で、
平安時代末期の窯跡の発掘調査を行いました。
このとき、窯跡近くで横穴を見つけました。
これは地元でマンボと呼ばれる
農業用(飲料水用、酒の仕込み水用もあり)の地下水路でした。


その一例は、半田市博物館の駐輪場の片隅に保存されています。
三重県の鈴鹿山麓にはかなりの数のマンボが残り、
現在も利用されています。


知多半島では、農業用の地下水路だけでなく、
トンネルや亜炭採掘をした坑道もマンボと呼んでいました。

世界遺産登録された島根県の石見銀山の坑道が
間風・間歩(マブ)と呼ばれていますが、
マンボも語源は同じだと考えられます。


知多半島のマンボは明治期に掘削されたものです。
しかしマンボの掘削技術は、
斉明天皇の頃(7世紀後半)に大陸からやってきた
技術者によってもたらされた可能性があります。


斉明天皇は狂心渠(たぶれごころのみぞ)といわれる
大規模な運河を掘削させたようですから。
明日香に残る多くの石造物もこのころのものだそうです。


マンボの起源は
中国の新疆ウイグル自治区トルファン盆地に残るカレーズ
さらには西方のイランでカナートと呼ばれる
地下水路だという説があります。
今年の夏にはトルファン盆地へ行って
カレーズを見てこようと考えています。


マンボはため池に伴う構造物ですが、
愛知用水完成以後は、ため池とともに存在価値がなくなり、
埋め立てられて、次第に姿を消しています。


知多半島にもわずかに残るマンボの記録を残し、
良好な状態のものは農業土木遺産として管理し、
後世に伝えることが重要だと考えています。