平成28年度 星城大学 卒業式(学位記授与式)での赤岡学長の式辞を紹介

式辞             

 春風や 闘志いだきて 丘に立つ

 高浜虚子の有名な句ですが、EU離脱を選んだイギリスの国民投票に驚き、政治経済学の理論を逸脱する発言を繰り返すアメリカ大統領選挙をみてアメリカの知性に疑問を感じるこのとき、知性の府である大学における卒業式を迎え、がぜん、この俳句を思い起こします。
 そうなのです。私たちの社会は、平和で自由で民主的で平等で、他者と協力する豊かな社会に向けて進んできたのです。時計の針を逆行させるようなイギリスの理性と知性の弱さに驚きますが、私たちは、ポピュリズム(大衆迎合主義)の台頭に、長期にわたり築いてきた知性を曇らせるわけにはいかないのです。

 虚子の俳句を繰り返します。

 春風や 闘志いだきて 丘にたつ

 本日、大学をご卒業の皆様、大学院を修了なさる方々、ご家族、ご関係の皆様おめでとうございます。

 本日はご来賓として、名古屋石田学園理事長石田正城様、東海市の副市長近藤福一様、知多市副市長渡辺正敏様、東海市議会議長井上正人様、東海商工会議所専務理事下村一夫様、東海市教育委員会教育長加藤朝夫様、公益社団法人愛知県理学療法士会代表理事鳥山喜之様、一般社団法人愛知県作業療法士会会長稲垣毅様、星城大学後援会会長石川守様、 本学の提携校の学校法人愛美学園啓明学館高等学校長中西新八郎先生、同じく提携校三重県立津商業高等学校長西尾雅二先生、提携校学校法人修文学院修文女子高等学校長猶村七甫(なおむら・ななほ)先生、東海市に所在で本学との連携の深い愛知県立東海商業高等学校長松林克也先生、また、愛知県立東海南高等学校長渡邊修先生、学校法人名古屋石田学園理事眞田明様、学校法人名古屋石田学園理事半谷眞宏様、学校法人名古屋石田学園星城高等学校長寺田志郎先生をはじめ多くのご来賓のご来駕を賜っております。ご多忙のなか、誠にありがとうございます。衷心より御礼申し上げます。
 ご卒業の方々の保護者、関係者の皆様本日はおめでとうございます。

 さて、皆様は星城大学・大学院から飛びたたれるのですが、その皆様を育んだ杏壇は、尾張、知多・三河からなる愛知県の東海市にあります。公表されている最新の経産省工業統計表でみますと愛知県は工業出荷額が全国47都道府県のなかで43兆円と全国一で、第二位の神奈川県の17.3兆円と、三位の大阪府15.6兆円の合計よりも10.1兆円も多いのです。しかも農業生産高も高いのです。そして、全国の都市でみますと東海市の住みよさは東洋経済新報社の2016年調査によれば、全国813の都市全部のなかで、なんと19位です。因みに、星城高校のある豊明市の住みよさランキングは39位ですから、これも上から5%以内に入っています。
 愛知が、そして知多がこれほどすばらしい県、都市になりましたのは、産官学と市民の力によりますが、ここでは、市民の素晴らしさを挙げたく思います。
 知多の方ならだれでもご存知でしょうし、「プロジェクトX」をご覧になった方も少なくないと思いますが、知多市八幡の農業久野庄太郎氏、豊明市出身で安城農林学校の教師から半田高等学校農業課程教師を務められた浜島辰雄氏、現在の半田市有楽町の森信蔵氏です。この方々は、愛知用水をつくることに力を尽くされた傑出した偉人です。これ以外にも愛知用水建設には多くの方が貢献なさっていますが、このお三人は筆舌に尽くしがたい貢献をなさいました。
 久野庄太郎氏は裕福でない農家の長男で、幼い頃、家の手伝いか、子守で学校にも満足に行けず、小学校を卒業すると農業に専念します。そして、冬は農閑期なので10歳のときから、尾張万歳で100日ぐらい出稼ぎに行ったといいます。100日で僅かに10円ですが貧しい農家にとっては貴重な収入です。8年間続けたといいます。
 その後は、農業経営改善の農業研究会に加入して家畜を活用したり、農業経営を多角化したりして、農業改善のお手本の人といわれるようになり、驚くことですが僅かの期間で、耕地面積も収穫量も県下一といわれるまでになったといいます。
 それで、昭和10年には、なんと、篠原栄太郎愛知県知事から産業功労賞を受けました。
 こういうすばらしい評判があったからでしょう。昭和20年昭和天皇が愛知県をご巡幸になったとき、桑原幹根愛知県知事の推挙により、安城市にあった愛知師範学校で、愛知の農業事情をご進講し、天皇から「この上とも農業振興をしっかりやってください」とお言葉をいただいたといいます。
 こういう高い社会的評価があるので、久野氏の提案は、有力者から真剣に聞いてもらえ、農家の人々のリーダーとして動けるようになっていったのです。
 このころの昭和19年と22年大旱魃が知多を襲います。久野氏は、この惨状から脱するには木曽川から知多へ愛知用水をつくるしかないと考え、技術的に可能か、専門家に尋ねます。そして、可能であり、効果は大きいが、事業費が膨大であるから、国の事業として推進することを希望すると県の関係者から言われます。
 そこで、昭和23年6月23日森信蔵半田市長に愛知用水期成会同盟会会長をお願いし、引き受けていただきました。
 森信蔵氏は半田市有楽の旧家の生まれで、25歳で単身渡米、戦争のため26年間にわたったアメリカ滞在を切り上げて帰国なさり、1947年に半田市長に選ばれた逸材で、森氏がワシントンの世界銀行に融資をもとめてくださり、世銀の融資が実現しています。
 また、森氏の愛知用水開発期成同盟会会長引き受けで、愛知用水建設の協力関係がととのったので、久野氏が会長を務める農村同志会(会員約1000名)による説明会を開催したところ、それが現在の中日新聞7月7日号に掲載されました。 
 それを見た豊明市出身で当時安城農林学校の教師だった浜島辰雄氏が、当時お住みの大府市桃山から久野氏のもとに自転車で駆けつけ、お二人の協力関係が成立します。その後、浜島氏は久野氏と二人で、水路予定の経路を歩き、自然の勾配を利用して水を流す愛知用水の水路を書き上げました。それを、当時の吉田茂首相の官邸でお見せして信頼を強めたといいます。
 こうして、愛知用水は国の事業となり、1955年愛知用水公団が設立され、用水の建設がすすめられました。そして、愛知用水の通水式は1961年9月30日に開催されています。
 この間、強硬な反対運動が起こりますが、久野氏は、第一回の説明会を犬山の木曽川河畔紅葉館でなさいますが、低姿勢で丁寧なものだったといいます。しかも、費用一切久野氏の自弁でした。また、市町村開設明会を、各町村70回も開催なさっています。
 また、工事により事故死の方も出ますが、その犠牲者に泣き、そのことを当時の名古屋大学総長にお話ししたときに、医学者も命を救えないことが少なくないことをお聞きし、医学の進歩のために、献体する不老会設立をなさいました。そして、本人も献体なさっています。これも、驚くほどの立派なことと思います。
 さらに、久野氏自身、自らの資産もつぎ込んだ上に、資金源であるはずの物産会社の経営が危ないとみた心ない者に、商品を持ち出されたりして、愛知農林物産株式会社は倒産し、久野庄太郎氏は破産宣告を受けています
 こうしたご苦労により、愛知用水は、久野庄太郎氏を中心とし、浜島辰夫氏、森信蔵氏の働きで愛知用水は完成したのです。
 こんなに、素晴らしい方が愛知には、知多にはおられるのです。
 そして、この愛知用水があるから、愛知の工業出荷額は全国一で、愛知の豊かなくらしもあるのです。

 しかし、実は、冒頭で述べましたように、現在、ヨーロッパでもアメリカでも、時計の針を逆もどしにするような動きがあります。そして、日本でも、1990年の中ごろまでは、経済格差の縮小が実現していましたが、その後、格差の拡大が進んでいます。また、政治的、社会的問題が深刻化し、多発しています。
 本日ご卒業の皆様には、久野庄太郎氏らのご苦労と素晴らしさを胸にしっかり納め、闘志をもって、世界や日本が、冬にもどらず、春が確実に進んでいくよう頑張っていただきたいと思います。
 それは、皆様方はできるはずです。

 大学の研究力の高さは、文科省の科学研究費補助金の採択状況で分かるといいますが、東海4県にある全部で63の私立大学のなかで、科学研究費補助金に採択されている教員の割合は、本学は上から6番目です。
 そのような研究力の高い教員の指導を受けて、皆様方は全員卒業論文を書いて卒業なさるのです。しかも、卒論発表会で聞いていますと、経営学部でもリハビリテーション学部でも、学術雑誌に投稿できるぐらいの論文がいくつか提出されますし、それ以外でも、少し手を加えれば、同様の高い水準の論文になるものがいくつもあります。
 ですから、皆様は、社会の問題を創造的に解決する方法を考えることができるはずです。
 どうかよろしくお願いします。
 本日はおめでとうございます。


平成29年3月20日
                                  星城大学
                                     学長  赤岡 功